「食について(その1)」


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「食について(入門編)」

平成8年7月3日発行

今回は、「息・食・動・想」の中から“食”についてお話ししてみたいと思います。“食”つまり、“食養法”“食べる”ということです。まあ、今日のところは”入門編”ということで、理論的な原点の勉強を中心に”食”という入り口に、少し引っ掛かるくらいまでのお話しが出来ればと思っています。
 
まずその前にですが、前回は『人間の器』というお話しをしました またその内容は、講義録としても発行しました。理解出来る方には、とても参考になった話だと思いますが、講義録を読まれた方の中には、少々誤解を受けた部分もあったようなので、今一度簡単に補足説明しておきたいと思います。

前回は、¨魂”とか”仏国土”、さらには”輪廻転生”などという特殊な言葉を出したので、その聞き慣れない言葉に抵抗を感じた向きもあったようです。 この部分に関しては、前回も「言葉はどうでもいいので、意味を理解してほしい」とはっきり断ってありますし、また、意味を理解しようともせず、言葉云々の細かい所で引っ掛かってしまうような“器”では、これまた困ってしまいます。我々の目標は少々のことには、こだわらない“器”の大きな仲間づくりを目指しているのですから・・・内容を重視していきたいと思います。
またもしも、この言葉だけで、宗教臭いというイメージを持たれた方がありましたなら、会では”宗教”ということについては、はっきりと定義付けをしてありますので、いい機会ですから、改めてここで確認しておきたく思います。(以下、テキスト”ニ辺往来『受動と能動』の文”より抜粋)

「ここで健康創造の会でいう”宗教”の定義をはっきり示しておきます。会では、“宗教”と”宗派宗教”をはっきり分けたうえで、“宗教”は最も大切なものであると定義してあります。宗教とは、漢字の示すごとく”宇宙の真理を示す教え”ととらえています。その上で、宗派宗教とは区別してあります。また、ついでに書いておきますが、”超能力”や”霊(低い次元での霊現象)”については、認めはするが、あまり相手にしないという態度をとっています。我々が目指しているのは、この現実界において”生き生き生きる”という研究一点につきます。霊の世界や超能力は、知って元気になればいいけれど、そういうものではないと思います。私は、このような“宗教感”というものは、人間として生きていく上での原点になるべき大切なことだと思っているので、自分なりに色々と勉強していますが、挟い所で引 っ掛かっているわけではないということを断っておきます。ここらへんの話しは、既にテキスト等、色々な文に書いてありますし、ここにいる皆さんにとりましては、ここはもう卒業されているはずだから、これ以上説明していても無駄ですので、言い訳はこれくらいにして、先月の復習をしていきましょう。

人間の“使命”とは「魂の進歩発展」と「仏国土・ユートピア建設」の二つであるということ。この二つのことが大切だという話しをしました。これはどういうことかというと、『魂の進歩発展』とは”自分の為に”ということ。「仏国土・ユートピア建設」とは”人の為に”ということです。つまり、『“自分の為”“人の為”というこの二つの概念をしっかり持って生き、その目的の為に”努力”しましょう!」ということです。


“自分の為”と”人の為”という両方を大切にして、どちらが欠けても、また偏っていてもイケないということです。で、この二つの“使命”を遂行するべく”努力”しましょうということですが、”努力”の反対語は、例えば“のんべんだらり”です。

ここではっきりさせておきたいのは、我々の仲間は”のんべんだらり”と生きている仲間ではないということです。“のんべんだらり”と生きたいのなら、こんな勉強会に参加する必要がないのです。 我々は、“いい生き方”を模索していこうという人達が集まれる場を作ろうとしているのですから、努力するのは当然なのです。では、その“努力”ですが、どのようにすればいいのかというと………それは、“自分の頭で考えるしかない!”というのが答えです。“自分の頭でとことん考えて生きる!”ということをまとめとして言ったはずです。皆立場が違うのだから、それぞれが工夫するより他ありません。いつも言うことですが、これがそれぞれの人が自分の足で立つという意味です。

 このように大切なニつの意識を持ちながら、頑張って生き、そして地球上で生活出来る“限られた時間”の中で、何かを残したり、成すことが出来たなら、それは素晴らしい幸せな生き方ではないのかな…と…私はこのように思いますよ!ということを先月お話ししたのです。まあ、生意気な言い方ではありますし、私にこのようなことを言う資格など無いことは、わかっていますが、このことは自分自身に言い聞かせておき、いつも方向性をチェック・確認して、この“使命の道”から外れないように戒めておこうというつもりで話させてもらったものです。でないと、どこへ走っていってしまうかわかりませんからね。何か迷った時には、すぐにここ(“自分の進歩成長”と”世の為・人の為”)へ戻れるようにしておきたいと私は思っています,と同時に、健康創造の会の原点の考え方として、皆さんの心の中にも、この要点は是非染みこませておいて戴いて、暗黙の了解といいますか、何も言わなくてもここはお互いに、底辺の部分として、しっかり理解し合っている仲間でありたいと思っています。
 

以上、前回言いたかった部分を簡単にまとめてみました。理解を深めて戴ければ、うれしく思います。そして、是非何度でも「人間の器」を読んでみて下さい。私は、読めば読むほど、味の出てくる話しだと思っていますので…………。

それから、一つ断っておきますが、識者に言わせれば、『魂の進歩発展』とか『仏国土・ユートピア建設』ということは、そんな安っぼい話ではなく、もっともっと奥が深いものだということになるのでしょうが、そういう意見でしたなら浅学の故、勘弁して戴きたく思います。

前置きの話しが長くなってしまいました。

今日は、まず『緊張と弛緩』という話しから始めます。
この『緊張と弛緩』を、生命力の“高い”“低い”という観点で考えてみると、“緊張は生命力の低下”を来たし、“弛緩は生命力を高める”ということです。生命力イコール、自然治癒能力や元気さ、回復力ということです。テキスト(理論編)の「緊張と弛緩」の文には、次のように書いてあります。

[先日、無能唱元先生という師のお話しを伺う機会に恵まれました。先生は次のようにおっしやいます。
 「人間の生命活動とは、ひっ竟たった一つのことを繰り返しているに過ぎないのではないか。それは何かというと、ひとことで言えば、“リラックス”すなわち、自己の心身を“弛緩”させるということではないか。]と。 ~、]

“たった一つのこと!”と無能先生は言い切っています。オンリー・ワンということ。すごい言葉ですよね。それが、“リラックス””弛緩”だと無能先生は言っている。考えてみると、我々は毎日の生活の中で緊張することが多すぎます。緊張することだらけです。ほっておいても緊張するのだから、我々は極力、緊張を緩めるという手段・行為が大切になってきます。そして、この緩むという問題は、これだけ緩めばいいというものではなく、一生涯を通じての課題として絶えず意識しておくべきことだと思います。
 
では皆さん、ここで『“緊張”させる事柄』と『“弛緩”出来る事柄』をいくつか考えて、上げてみて下さい。まあ、緊張の方はタダでさえするのだから、“弛緩”の方でいきましょうか…。

(色々な意見が出て面白かったのですが……“体操”“美味しいもの”“温泉”“自然”“誉められる”“感動する”“許すこと”それから中には、“泣く”“怒る”などというのもありました。究極の緩みということで“自殺”という意見まで出ました。が我々は『生き生き生きる』ということがテーマなので、“陰”の方の弛緩ではなく、“陽”の方の弛緩を求めたく思います。“いじめ”て緩むのではいけないのです。)
 
まあ、テキストにも弛緩の方法は色々書いてありますので、参考にして戴ければと思うのですが、私も先程思い付くままにザーッと書き出してみたので、いくつか紹介してみようと思います。
 
まず、“笑う”ということ。感情を込めてどんどん笑いましょう。それから“睡眠”。良い眠りは体や心を深く緩めてくれると思います。やはり寝不足はよくないでしょうね。それから“良い音楽”や“静かな音楽”、いいですよね。“絵”もいい。Kさん御夫妻も絵をやっておられ、先日展覧会で見せてもらいましたけど、とても暖かみのある絵ですものね。人をホッとさせられるような絵が画けるというのは素敵ですね。私は武者小路実篤さんの絵なんか大好きです。本当に暖かいですものね。またこの前勉強した、心を『まるく・豊かにする』こと。『心の波を荒立てない』というのも緊張の反対ですし、“楽しいこと”を考えたり行ったりすることも弛緩することです それから、“あくび”“身体をゆすること”“心身統一法”……色々ありますよね。“自動運動(活元運動・生動法)”などは最高の方法でしょう。
私が考えている治療とは、いかに身体の奥の方まで深く緩ませられるかどうかということですから、これらの行為は全て”治療”ということに繋がってくると思います。

それから、“薬”で緩ませようという方法もありますが、これはあまりいただけない。筋弛緩剤とか安定剤、鎮痛剤等は、身体の外は緩むけど、内部の膜(脳・脊髄硬膜等)を緊張させてしまうのではないかと思います。内部が緊張すれば、その反動は当然大きなものとなって返ってくると思います。安易に使うものではないと思うし、治療室では、これらのものはなるべく使わないように指導しています。
 
ここで、“弛緩のレベル”ということについてお話ししておこうと思います。

緩むということでも、筋骨格系という外側の緊張を緩めるということと、より内部的な膜(硬膜等)の部分、さらにはその奥の部分というようなレベルがあると思います。そして、ここで言えることは、より内部を緩ませることが、よりベターだということです。
緩めるという目的で、筋骨格系あたりをギューギュー押して揉んだり、バキバキやったりすることは、外の部分は緩んで、一時的には楽になりますが、内部はどんどん緊張させてしまうように思います。内部が緊張すれば・………先程の薬と同じで、中毒のようになってくるでしょう。まあケース・バイ・ケースで、応急処置としては、たまにはいいでしょうが、知識として知っておいて欲しいと思います。
 

ここで、観点を少し変えて話しを進めます、

先程は、この目まぐるしく変化する時代の中では、もう生きているだけで緊張するのだから、弛緩する為の行為が大切だと述べてきました。が、二辺往来的な考え方からすると、やはり人間、弛緩だけでは片手落ちで“程良い緊張”も必要だと思うのです。弛緩だけじゃ何も作り出せないし、行動や活動すら出来ません。それではやはりいけない。そう考えてみると、私などは少々緩み過ぎている感がないでもありませんが(笑)…。
 
先月も「さだまさしさん」のコンサートを観てきたのですが、さださんはもう二千回以上のコンサートをやっているにもかかわらず、今だに開演前はスゴく緊張するらしいのです。一人トイレにこもり、大地震でも来てこのコンサートが中止になってくれないかなあ?とやっているらしい。でも開演時間には覚悟を決めて、シコを踏んでから思い切り飛び出てくるのだそうです。私もまあ、毎年2~3回づつ、もう10年以上もステージを見続けているわけですが………さださんは、全く緊張のかけらも見えないほど、ステージ上で自分を楽しませて緩めちゃっているように思います。当然それを見て我々も緩んでしまう。まあ、とにかく楽しいコンサートですから、機会があったら是非……勿論キライでなければですが……一度見に行くといいですよ。

それから、同じような話で、ボクシングの元世界チャンピオンの輪島功一さんのお話しですが(だいぶ前の話です)、とにかく試合前は緊張して、何度も逃げてしまおうと真剣に考えたと言っていました。で、試合前控室で拳を痛めない為に手にテーピングを巻いてもらうのですが、その手が震えて止まらないのだそうです。恥ずかしいから止めようとすると、余計震えたと言っていました。で、彼が引退してから、色々な試合前の選手控室に入いったら、やはり皆緊張して震えていたと笑っていました。そして、こう言っていました。試合前に手の震えていない選手はろくな試合をしない。と。また、手が震えて緊張の極にある選手はスゴイ試合をやる。と。
 
緊張も大事なんですよね、何かを為そうとする時の緊張というものは必要だと思います。緊張して、事に当たり、何かを成し遂げて緩む。そして、ビールでも飲んで、さらに緩む(笑)。これもバランスなんですよね。

先程の『“自分の為”“人の為”に努力して生きる』なんていうのも、それだけで良い緊張を作り出していることになります。そのように、頑張りながら生きた上で、“弛緩”を大切にしていくという考えが必要なのだと思います。


さて、ここからやっと今日の本題に入いっていくのですが、緊張を作り出す一つの事として、正義感から出る『こうでなければならない!』『これをしちゃダメ!』………いわゆる主義主張というやつがあります。健康創造の会では、このことは最も戒めている所です。“決まり”にも、ちゃんと書いてあるはずです。これをやっていると、過緊張をおこし、色々と不調和を起こしてくる。自分に対しても、囲りに対してもです。たとえ、それがどんな正義だとしても、緊張を引き起こしていては意味かありません。
(…勿論、ここの部分は”悪いこと”“いけないこと”の意味は排除してあります。…)

このような落し穴には、目新しい勉強を少し聞きかじったり、上っ面の勉強を少々したような人が落ち込みやすいのです。かくいう私なんかも、陥りやすい部分ですし、時々確認、点検をしておかなくてはいけないところだと思っています。
 

さて、『自然食』という世界。この『べし! べからず!』が本当に多い世界ですよ。
色々な派閥があったりして、これが正しい!。あれは間違っている!。 絶対こうでなければならない!。これは体に悪いから、食べたり飲んだりしちゃいけない!。この健康食品が一番良くて、他のものは全部ダメだ!………等々。

私の両親は自然食品店を出していますし、その御陰で私達は”食”の大切さや素晴らしさというものを理解させてもらい、“自然食”を主に当り前に食べさせてもらっているので有難いことだなと思っています。それで事済めば本当に素晴らしい世界なのですが、外の“自然食世界”へ出ると、戦場と化し、そんなきれい事を言っていられないのが現状です。喧喧ゴウゴウの世界です。『自然食』というだけで、何か特殊で異様な雰囲気を醸し出しますものね。変な話ですよね。私はそういう挟い考え方が、大嫌いな質です。私も外で『自然食』をやっているというと特殊な目でみられます(笑)ので、割と警戒してそんな素振りは見せないようにしています。でも色々と言われます。
 
一番多いのが、「自然食もいいけど、そんなこと言っていると何も食べるものがなくなるでしょ?」と軽蔑ともとれる言い方をされること。これは良く言われることで慣れっこになってしまいましたが、こういう場合は、「そうですよね]「困りますよね」と言うようにしています。このようなことを平気で言う人は、“食”についての概念がないのだから、何を話しても平行線をたどるしかないですものね。“食”に関心のある人なら、そんなこと言う前にとっくに自分で勉強していますよね。
 
お店に長いこと来てくれているお客さんなんか見ていても、自分で考えながらうまく品物を選んで、黙って買っていきますものね。本者だなと思う。ブームか何かに乗っかって、賢そうなことを言ってワイワイやってるような人は全然続かないですよね。そういう意味からしても原点や基本という理解がとても大切なように思います。

『自然食』関連の苦い経験をもう少し述べると、ある時、友人の家に行った時、たまたま居合わせた初対面の女性に、友人が「自然食のお店をやっている方ですよ」と紹介してくれたのですが、その初対面の女性、顔色を変えながら曰く、「私も自然食をやっているのよ。お宅は何式? 森下? 桜沢?……」 
色々派閥があるとは、先程言いましたが、自然食の世界とはそういう世界です。(本当はそうではないのですが……)
その女性は”桜沢式”だと言っていましたが、私はその時、「勉強不足だから、難しいことはよくわからない」と言っておきました。向こうもバカヤロウと思ったかも知れませんが、こちらもバカヤロウと思いました(笑)。こういうのってイヤな世界ですよね。

こんなこともありました。もう10年以上も前の話しですが、ある友人夫婦が自然食の軽食喫茶のようなものを始めた。その知り合いの友人は、無農薬野菜を作っている人(年配のおじさん)と共同で始めたのです。で、開店して間もなく、私と母でお祝いに行った。で、友人にお茶などを出してもらって、色々と楽しく話していたところへ、そのおじさんが泥だらけで畑から帰ってきた。で、友人が「いつもお世話になっている自然食品店の加藤さんですよ」と紹介してくれたのです。とその時おじさん曰く「私のやっている自然食は、普通の自然食とは違いますから!」とブスッと言って奥へ入いってしまった。まあ、おじさんが一生懸命、信念を持ってやっているのはわかるけど、この時だけはさすがの私も腹が立ちましたね。友人もオロオロしてかわいそうだったのですが、変な世界だなと思いました。結局、このお店もあまりうまくいかなかったようですが………。

また、あるビタミン健康法の信者の方にですが、「無農薬野菜なんかは、無能の人間が食べるものだ!」(笑)と言われたこともあります。さんざんな目に合っているでしょ(笑)。まあ、これからも多分にあることだと思いますが…………こんな主義主張の多い世界だということも知っておいて下さい。
 
ここで、私が言いたいことは、この『自然食』という世界をあまり、そのような小さな世界でとらえて欲しくないということです。大きく広い世界でとらえてもらいたい。そして、勉強していけば、当然自分の学んだレベルで“主義や主張”が出てくるのも当り前です。こうでなくちゃいけないということもわかってきます。ただ、その主義主張の考えは自分の世界で大切にすればいいことです。人に強要することではないし、かつ人のやり方を排他・排斥する必要もないと思うのです。自分の頭で色々勉強し考えて、そして納得してやればいいことです。人それぞれの立場や環境、経済負担が違うのだから皆違っていいと思うのです。それらを認めた上で、“食の基本的の考え方”を理解して、出来る範囲で実行するのが本当だと思います。色々なレベルがあって当然だし、また、自分のいる位置というものも、高く広い目で把握しておくぐらいの余裕があった方が良いように思います。

私が”食”について、まず最初に言いたい部分はここの所です、ここをしっかり押さえておいて勉強して戴きたいと思います。そして、今お話ししたような、そんな侠い変な呪縛に引っ掛からずに、大きな広い門戸の中で、楽しく自由自在に勉強し、知識を得ていって戴きたいと思います。『自然食』の世界は本当に楽しく素晴らしい世界ですから、そのつもりで、その良さだけを堪能して味わって戴けたならと思います。

 

さて、話を先に進めます。
 ある時、フッと思ったのですが、“家の構造”と”身体の構造”を対比させて考えてみると面白いなあと思ったのです。イメージを描きながら聞いてみて下さい。

私が思ったのは、『汚い部屋』と『きれいな部屋』ということです。で、まず部屋(家)にあるものと、身体の中にあるものを対比してみましょう。
 
水道管は・・・・心臓や血管に。電線は・・・神経系統。下水は・・・・大腸・泌尿器に対比出来ると思います。また、柱は・・・・骨格系,ガスは・・・・呼吸器やホルモン関係。その他にも色々あると思いますが、こう考えてみると面白いでしょ。
 
ここで、まず「すごく汚い部屋」を想像してみて下さい、,……(えっ、自分の部屋を想像すればいい?)(笑)……水道管が今にも破裂しそうで、下水なんか詰まっちゃってて、溢れ出している。柱は倒れかかって………思わずチャップリンの映画を彷彿とさせますが……ガスなんかが漏れてるなんていったら………本当に大変ですよね。
水道管が破裂しても、まあ塞げばいいのだから、大したことないけど、血管が破裂したら、もう即お陀仏ですよね。血管がボロボロで、今にも破裂しそうな人が治療に来て、少し触ったら破裂してしまったなんていうことも無きにしも有らずですよね。危なくてしょうがない。
電線がショートしていれば、火事になるでしょ。神経痛はそんなものなのでしょうね。下水が溢れてくれば、悪臭もひどいものになるし、その“におい”が“心”だと仮定すると、良い心なんか出てくるわけがない。『まるく・豊かに・明るく・大きく・あたたかく』の正反対になってしまう,かぐわしい良い香りを醸し出すには、やはりその部屋をきれいにしておく必要があると思います。
下水が詰まって流れていかなければ、部屋がヘドロで埋めつくされて汚くなるのと同じで、腸や泌尿器がつかえていれば体質がどんどん汚くなってしまいます。
このように考えてみると、“体質”も”部屋”と同様、きれいに手入れをし、まめに掃除をすることが大切なことだと思います。
 
そこで、この勉強会では、その手入れの仕方(方法手段)として『息・食・動・想』というテーマで勉強しているのです。そして、“体質改善”に直結しているのが、“食”ということなのです。『汚い部屋』のような身体をしていたら、病気になるのは当り前なのです。また、それが病気の原因として一番大きなものだと思います。
 
加藤治療室へも色々な患者さんが来て、同じようにベットの上に横になりますが、その体質の差(違い)は大変なものだと思います。こう考えてくると、身体の中をヘドロのように汚しておいたままで治療を施していることを感じる時、非常に空しい気持ちになることもあります。ゆえに、このような形式をとって訴えているのです。是非そこらへんというか、治療以前の問題もあるということに気がついて戴きたいと思います。


皆さんは、『腸造血理論』という言葉は聞いたことがあると思います。去年もやりましたからね……。

血は腸で造られるという理論です。このことは、後でもう一度触れますが、“食”の原理理論として、しっかり押さえておいてほしい大切な考え方で、【きれいな・良い食べ物が・・・・小腸できれいな血液に変化し・・・・その血液が健全な細胞・組織に変化していく】という理論です。これが体質改善の原理原則です。反対に、【悪い・汚い食べ物が・・・・悪い・汚い血となり・・・・悪い・汚い身体・体質を造っていく】ということです。つまり部屋でいうと『汚い…今にも腐って壊れそうな…部屋』になりつつあるということです。
 
「汚い部屋」に自分でしておいて、その結果具合いを悪くして「ちっとも治らない!」と言われても割に合いません。どうか、“食”の大切さを理解しておいて戴きたいと思います。
 
ここに、今から8年程前に書いた『食養法について(1)』という文があります。よくまとまった文だと思いますので、解説を交えながら読んでみたいと思います。
(以下、ここまでの話とだぶる所もありますが、その全文をここに掲載します。尚、解説は略します。)

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『食養法について(1)』
(平成元年11月記)
食養については、書きたいことが、沢山あるので、何回かに分けて書こうと思います。
今回は、導入部分として、私がいつも患者さんに話しているようなことを述べていきます。

まず、我家では、自然食品店をやっているという、特別の環境もあり、ほとんど玄米、自然食品、無農薬野菜をごく当り前にいただいております。自然食を本格的に食べ始めて、かれこれ15・.6年になるのではないでしょうか。
そもそものきっかけは、20年程前、父が身体をこわしていろいろな病院を巡っていたらしいのですが、いよいよ手術という時、食事療法と出会ったのです。母は最初、そんな鳥のエサのようなものを食べて……と反対したそうですが、父は一人で、玄米菜食中心の食事を厳格に実行し、治してしまったのです。我家ではそれ以来、少しづつ食事が変わってきたようです。
 
そんな御陰でしょうか、15年前に一家4人(去年から5人ですが)、巣鴨から越谷に引越して来たのですが、その間、誰一人病院(医者)にかかった者はおりません。…………と書きたいところですが、実は今年、弟が1回、病院の門を叩いたぐらいです。という訳で、我家では薬とはまったく無縁の生活をしていますが、有難いことだと思っています。
 
私も小学校、中学校ぐらいまでは、年中、医者にかかって薬漬けでしたので、それを考えるとやはり、食事の影響は大きいのではないかと思っています。高校の頃には、当り前のような顔をして玄米のお弁当を持っていきました。
 

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